fbpx

松原時夫さんのこと

2021.12.14 |

松原さんが生まれたのは和歌浦の街道沿いで、片男波海岸まで歩いて数分のところです。父親はシラスの加工業をされていたそうですが(シラスは和歌浦の特産品です)、松原さんが3歳の時に亡くなったので「おやじの顔は覚えていない」と話していました。

カメラを始めたきっかけはグリコのおまけ(シールを集めたとか言ってたような?)でカメラが当たったから。特に「写真ひとすじ」、というわけではなく、絵画などにも幅広く興味を持っていたみたいです。

松原さんの少年時代の話を聞いていると、海や山や町の中をかけまわって遊んでいる天真爛漫でやんちゃな少年像が見えてきます。とはいえ、そこらへんのやんちゃ坊主とはやっぱりちょっと違うような。

子どもの頃はメジロ(ウグイスだったかも?)をつかまえて飼っていたそうなのですが、その姿や声の美しさについて80歳をこえた今も生き生きと語ってくれます。少年時代から美に対して感度が高く、その鮮度を保ち続けて現在に至る、という感じです。
年齢を重ねると肉体はみずみずしさを失っていきますが、その反動のように精神や感受性が一層みずみずしくなっていった稀有な人だと思います。

高校では美術部に入って絵を描いていたそうです。卒業後は大阪にある写真の専門学校に通うことになりました。専門学校を出てからは、その学校の教師を数年勤めて退職。生まれ育った実家に写真店を開いて結婚します。写真店の仕事で収入を得て2人の子どもを育て、好きな撮影をずっと続けてきたのです。
「好きなことをずっと続けられたのは家内のおかげ」と松原さんは何度も言われます。「ぼくは嫌な仕事はしなかった」とも。

「ふつうの奥さんやったら、もっと仕事して稼いでこいって言うと思うんですよ。でも家内はまったく言わなかった。好きなようにさせてくれましたね」と何度もしみじみ話していました。
松原さんの娘さんは子どもの時「あんたとこのお父さん漁師やろ?」と友達に言われたそうです。そのぐらい松原さんは毎日、片男波に通っていたのです。(撮影のため海に通っているのは、今も変わりません)

そんなふうに、美の世界に片足突っ込んで生きてきただけあって、経済活動には今も無頓着に見えます。あと、自己顕示欲もなさそう。年齢や性別、社会的な立場など関係なく、誰とでも分け隔てなく、対等に付き合います。ただ、これは憶測ですけど、松原さんは自分がまったく興味のない人とは付き合わないんじゃないかな。例えば権威的な人とか……。そんな時間があったら、砂浜で貝殻拾っているほうがいい、と思っているような気がします。

とはいえ、たいていの人のことは面白がるはずです。松原さんの目線はいつも、お茶目な観察者なんですよね。イキモノを観察するように、好意的にあたたかく人を見ている感じがします。(メジロや貝とヒトがわりと同列な感じです)

音楽も大好きで、大きなスピーカーを自作して音楽鑑賞を楽しんでいます。
あ、探してみたら写真がありましたので、貼り付けます。
これです。存在感のある手作りスピーカーです。

Tokio Matsubara | 松原時夫

CDも1000枚ぐらいお持ちで、ジャンル別にきっちりと分けられて整理ボックスに収められています。

CDの引き出しの下に立っているのがテーマ別に分けられた写真ファイルです。『水辺の人』も『沖ノ島』も『砂のキャンバス』のファイルもこんな感じで立っていました。

私は何度かここで、様々な音楽を素晴らしい音響で聴かせてもらいました。ジャズや民族音楽、そしてちあきなおみの演歌まで。
中でも印象的だったのが、アグネス・バルツァです。レフカダ島(ギリシャ)出身のオペラ歌手なのですが、そのアグネスさんが唯一、母国語で故郷を歌っているというCDがあり、それを聞くと松原さんはいつも感動して涙が出そうになるそうです。

松原さんにとって和歌浦は故郷ですし、ずっと和歌浦の写真を撮ることをライフワークにされています。でも私、松原さんの口から「和歌浦が好き」とかって熱い話は聞いたことがないんですよね。それはもちろん好きだと思いますが、地域限定まち起こし的な郷土愛ではなく、我々人類が、遺伝子レベルで共有している普遍的な郷土愛のようなものだと感じます。松原さんにとって和歌浦の海はその入り口であり、だからギリシャの海とも一瞬にしてつながれるし、アグネスさんの歌声に郷愁を感じて涙するのだと思います。

自分の地元を撮り続けている写真家は多いですが、松原さんの作品が異彩を放っているのはその精神のスケールの大きさ、みずみずしさではないかと思いますし、その精神を育んだのが和歌浦なのだと感じます。土地や自然が放つ何かと、過剰なほどに呼応できる人が芸術家になるのかもしれないな……。松原さんを訪ねた帰路はいつも、そんなことを考えながら和歌浦の路地を歩きます。

(きたうら)