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Reflections on Tsugaru ① 嵯峨谷での編集会議 

(文/北浦雅子)

「ものすごくいい写真を撮る方を見つけたんです。青森県の作家さんなんですが」
庄屋さんのような古民家の座敷で、パソコンを操りながら硲さんが言った。

道音舎のデザイナー、硲(ハザマ)さんが東京から和歌山に戻ってきたのは昨年の夏のことだ。橋本市の空き家バンク制度を利用して、マンガ日本昔話みたいな山里を選んで移住。中庭や土間、畑と山まで付いている広々したお屋敷で、妖精のように素敵なパートナーと保育園児の息子くんと三人で暮らしている。

「久しぶりに編集会議をしませんか。よかったらぼくの家に来てください」
秋になり、暮らしが落ち着いた硲さんから嬉しい誘いをもらったので、その日、私は引っ越し祝いのウナギを持って硲さん一家が暮らす嵯峨谷を訪ねたのだ。

「橋本市はちょうど、奈良と和歌山と大阪の県境にあるじゃないですか。三つの県が接しているところが、スイスのバーゼルみたいでいいなと思って決めたんです」

バーゼルはフランスとドイツ、スイスの国境にある街で、私はよく知らないがタイポグラフィの聖地らしい。デザイナーの硲さんにとったら特別な街なのだろう。

嵯峨谷の集落

照井壮平写真集『狼煙』に続いて、道音舎はどんな本を作るべきか。あれこれ悩んだ末に「やっぱり写真集を作ろう」という方向性だけは固まっていた。でも誰の写真集を作るのか。「土着」というキーワードには一貫してこだわっているし、そこは時間をかけても厳選していきたい。

「ぼくは毎月1日と15日に神棚の榊とお酒を替えるんですけど、その日はネットでじっくりリサーチすることに決めているんです」

月に2回、神棚の榊とお酒を替えてから(おそらく、とてもていねいに)、すがすがしい気持で作家探しをしている硲さんを想像して「なるほど」と思う。屋敷にあった古い神棚を受け継いで、大事に祀っているのも彼らしい。
そうして見つけた写真家が柴田祥さんだ。
だからたぶん硲さんは、1日か15日に柴田さんの写真に出会ったのだと思う。

「いいですね。この方の写真、すごく惹かれます」とパソコンを覗き込んで私が言う。
「インタビューの動画も見つけたんですけど、柴田さんって話し方もいい感じなんですよね」と硲さんが重ねて言う。
「まずはメールしてみます?」
「してみましょう」

熊野の写真集の次は津軽。本州の最南端から最北端への展開はまったく予想していなかったが、なんてドラマティックなんだろう。